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体験談

我が家の在宅医療

両角 智弘

1.在宅医療との出会い

一縷の希望に縋って

 妻が「すい臓癌」を宣告されたのは昨年の始めだった。消化器系の大部分を切除する大手術に耐えなんとか自宅に帰ってきたものの採食が思うように出来ず栄養失調になってやせ細ってしまった。
 大病院からは「効果のある抗がん剤もなく今後手術することも出来ない」といわれている以上在宅看護・介護に頼らざるを得ないと考え伊豆の長岡に転居した。幸い近くの「長岡リハビリテーション病院」の院長の了解が得られ訪問担当医・看護婦の派遣を願い余命を少しでも延ばしたいと行動に移った。
 

2.在宅療養生活の喜怒哀楽

揺れ動くこころ

 すい臓癌は殆ど救われることはない。しかしなんとか希望をもって生きたいと私たち夫婦は考えた。担当医 看護婦はまるで私たちを父母のように見取ってくれた。何気ない会話の中に愛情がにじみ出る。不必要な検査はせずひたすら対処療法に徹してくれた担当医。心をこめて風呂に入れてくれた看護婦。その時は妻の心も和やかにそして弾んだ。
 私も妻が好きな食べ物探しに時を過ごした。炊事場に立つ私を少しでも補助しようとよろよろ妻が出てくる。私の買い物を助けようと寝床で生協のカタログを見て記しをつける。私はこれを拒否しなかった。このことが唯一妻の生きがいなのだから。
 やがて全身にむくみが出てきた。足に鉛が入っているようだという。医師と相談して「アルブミン」の注射に踏み切る。「あと何ヶ月生きるのだろうか?」私は自問自答する。妻には癌の告知はしてあるがその後の転移は知らせていない。
 「どうして次々と調子が変わるの・・」妻がぼやく。
 私は20歳の娘を「卵巣がん」で亡くしている。そのとき大病院任せで何もしてやれなかったことを悔やんできた。
 
 今私が妻にできることはなにか?
 妻の古希の祝いが迫っている
 そうだ 彼女が30年かけて作り続けた造花の作品集を出版しよう。それも生きているうちに・・・妻との共同作業だ。そして妻の二人の兄夫婦とともに古希の祝いがあげられた。彼女が大好きな湖畔の宿で。担当医師も協力してくださった。そして本も皆さんに差し上げ喜んでもらえた。
 その後約100人の人にこの本を発送し各人から心温まる手紙をいただいた。妻は毎日私にポストを見てきてくれとせがんだ。どんなに嬉しかったことか。ここに彼女は生きがいを見出したのだ。
 さらに彼女が気になっていたこと 彼女が30年仕えた全日本パンフラワー協会の会長が最近癌で急逝されその葬儀に出席できなかったことだ。その後「会長を偲ぶの会」が京王ブラザーホテルで開かれるという通知に接しどうしても参加したいと言い出した。
 これ程までに衰弱しむくみも激しい身体での東京行き。命の保証はない。然し担当医はこれを許可し行く先ざきの病院への紹介状を書いてくださった。
 かくて夢に見たこの会に同僚にエスコートされ出席出来多くの同輩後輩に囲まれて過ごしたひと時はどんなに彼女の心を歓喜で満たしたであろう。
 
 その後時々刻々変化する体調にあわせ少しでも回復するように本人も介護者も頑張ったが手術後1年半たった今彼女の体力は著しく落ちていった
 胸水がたまり息苦しい。腹水がたまって腸を圧迫する。一日一日動作が衰えていく。そして血圧がときどき上が60‐下が40になったりする。だが彼女なんとか少しでも回復したいと無理してトイレに行こうとする。本人の努力を無にしまいとみてみぬ振りをする私はたべられない食事を目で食べてもらおうと小皿に少しずつおかずを並べる。彼女「美味しい」と微笑む。そして少しばかり口に運ぶ。
 こんな日々が続いた。看護婦に入浴してもらうことが唯一の喜びだがそれも非常に疲れる様子。
 そして担当医が
  「入院しては?」
 と私につぶやくように言う。私は涙を飲んで本人に聞く
  「少し病院で静養する・・」
  「そうします」
 妻がはっきり答える
 私にこれ以上甘えてはと思ったのか?
 病室の看護婦は今までの訪問看護婦とは違う人だ。お互いに慣れるのに少し時間がかかる。でも心をこめてこの癌の末期患者を看取ってくれる。訪問看護婦もときどき見舞いにきてくれる。同じ担当医がやさしく語りかけ対処療法をしてくださる。風呂も週3回入れていただけた。しばらくは病院食がもの珍しかったのか箸をつける。私は彼女の希望をノートしせっせと運ぶ。病院まで歩いて7分ぐらいの距離でありがたかった。
 
 そして約一ヶ月がたった頃
  「彼女から何か届かなかった?」
 という。
  「まだこないよ」
 と私が言う。
 もはやベッドから自力では起きられなくなった妻は、かなりいらいらしてきた。私との会話も途切れがちになった。慰めの言葉や思いやりの行為はまったく意味をなさなくなった。
 頼んだことだけをしてくれという。
 風呂も入らなくなった。食事も食べなくなった。癌特有の痛みは座薬で癒す。
 酸素吸入と点滴のみが彼女の命を支える。
 そして妻の友達から私への誕生カードとチョコレートが届いた。妻が気にしていたのはこれだったのだ。自分では贈れない誕生カードを友達に頼んであったのだろう。ものを言うのも億劫になっている妻に
  「誕生祝もらったよ 嬉しかったよ」
 私が語りかけると妻が深くうなずいた。
 そして小さい声で言った
  「もう行ってもいい?」
  「いいよ・・・」
 と私。夫婦の最後の愛の語らいだった。
 そしてその翌日私の誕生日の夜明け妻は天国へ旅立った。娘の出迎えを受けて。
 

3.在宅医療に望むこと

心と体の調和

 完璧な医療介護看護に恵まれた私たちは幸せだったと思う。心から感謝している。
 しかしいかに素晴らしい医療看護介護が施されても患者本人は異常な状態にありその人の人格もどんどん変わっていく。そこでこれにいかに上手についていくかの工夫が大切だと思う。私は「イエスマン」に徹したこともあった。積極的な同情や愛は無駄だったこともあった。
 心も体も時々刻々移り変わっていく患者には医師看護人介護人患者の家族がたくみに連携を取りあいときには幼児をあやすように又あるときは生きる喜びを演出したりすることが良いと思う。
 そして最後のときを迎えるときの患者の悟った心と生きようとする体との戦いは熾烈なものがある。これを調和させるにはどうしたらよいかが今後の課題だと思う。
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