体験談
一人の人間として
海野幸太郎
私は、現在、在宅で筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患した父親を家族で介護しています。今回、執筆の機会をいただき、父親がALSに罹患してから、今日に至るまでの中で、学んだこと・得たことを家族の立場から記したいと思います。
まず、最初にALSについて簡単に説明します。運動神経がおかされて、手・足が動かなくなるだけでなく、自分の意思で動く筋肉が全て動かなくなります。呼吸をするためには人工呼吸器を必要とします。全国に患者さんは6,180人(平成14年3月時点)います。この病気は進行性なので、症状が軽度から中程度においては社会資源を適切に使用することで、地域で暮らしていくことも可能な病気です。
しかし、更に進行し、人工呼吸器装着在宅療養生活を送る段階になると、非常に数多くの問題を抱えてしまいます。どのような問題があるかというと人工呼吸器装着に伴い、痰の吸引等24時間の介護が必要となります。しかし、人工呼吸器装着者の療養生活を支える社会資源は決して十分ではなく、家族に過剰な負担が掛かることから、人工呼吸器を装着しない道を選択する患者さんの割合が、患者さん全体の64%(平成12年度地保健総合推進事業「保健所における難病事業の進め方に関する研究」)もおります。人工呼吸器を装着して「生きたい」と思っていても、社会がそれを受け入れないのです。ましてや、家族のいない方の場合は、どうなるのでしょうか。一人の人間の「生きたい」と思う、その大切な思い、尊厳はどうなるのでしょうか。そのような思いから、「ALSの克服と患者が人間としての尊厳を全うできる社会の実現を目指し、一日も早いALSの原因究明と治療法の確立および患者・家族が安心して療養できる医療・福祉体制を作ることを目的」とする日本ALS協会活動に参加しています。
患者である父親は平成5年春ごろに発症しました。症状に進行は比較的早く、平成7年の夏には人工呼吸器装着に至りました。そして、現在に至るまでの約9年間在宅で療養生活を送っております。もちろん、患者本人である父親も数え切れないほどの葛藤、拒絶、苦悩を味わってきました。家族も介護負担に耐え切れず、父親にあたってしまったり、家族同士でぶつかりあったり、どん底の状態に陥ったことは何度もありました。そこで思うことは、このような医療依存度・介護度の高い患者さんを地域で安心して暮らしていくことができるようにするためには、何が必要であるかということを考えました。
数多くある難病もそれぞれの疾患について、患者家族が「正しく理解する」ことが非常に重要であること。間違った理解から、偏見が生まれ、誤解も生じます。何事も正しく理解することが、その病気とともに歩む上で非常に重要なことになります。そして、その「正しい理解」が地域の関係者にも同じように得られていることが更に重要になります。関わりを持つものと持たれるものが同様に理解に立つことほど重要なことはありません。
そして、患者家族が何に悩み、何に苦しんでいるか、相手に「発信」することも大切です。患者家族の苦しみは、本当に想像を絶するものです。身をもって思います。しかし、その苦しみというものは、他人には理解しにくいものもあります。また、それを外に発信することなく、内に抱えてしまうと家族関係の崩壊等の悪循環に陥ってしまいます。まず、思っていることを素直に関係者に伝えていくことが非常に大切だと思っています。ただ、闇雲に地域関係者に愚痴だけを言っても、相手も動きにくいので、「何に」「どのように」困っているかを適切に伝えることも、安心した療養生活を送る上での一つの重要な要素であると思います。
それ以上に重要なのが、地域の関係者が、このように医療依存度・介護度の高い患者家族を支援していく気持ちがあるかどうかです。いくら、患者家族が前に進もうと思ってもそれを邪魔する、阻害する地域は数多くあります。人権侵害です。そのような理解力のない地域に患者家族自ら関わっていくことは非常にエネルギーを要し、それだけで、疲労困憊してしまいます。そのようにならないためにも、理解ある関係者を中心に、理解の和を広げていく活動も非常に重要だと感じています。そのためにも、患者家族自ら動くことが非常に重要だと思います。
最後に、体の筋肉がほとんど動かなくなった患者さんにあって思うことがあります。こちらかのコミュニケーションに本当に数ミリ動く、筋肉で応えてくださるその荘厳な姿には、心を熱くせざるにはいられません。一人の人間として、最後まで命を燃やし続けるその姿には、誰をも寄せ付けない崇高なるものがあります。そこには「生きたい」との思いから「生きる」へと歩みだした患者さんの思いであり、その思いに応えるのが、社会の責任であり、私たちの務めでもあります。私たちの踏み込むことのできない領域にいる患者さんの思い、その一つ、一つどれもが貴重な教えなのです。
|